フリーライターなるしかねえ

社会不適合な若者の日記です

『僕とロボコ』のガチゴリラは世紀の大発明

 「ガチゴリラ、すげえよな」ということをツイッターで呟こうとして文面を考えてたら他にも言いたいことがいっぱい出てきたから日記にする。

 わざわざ説明することでもないんだけど、『僕とロボコ』は結構すごいことやってるよね、って話をしたい。グダグダと。

 

 

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shonenjumpplus.com

 一応4話以降の話もしているので、もしネタバレを気にする方がいたらすみません。読んでからまた来てください。別にネタバレされて困るような漫画じゃないとは思うけども。



 

 

 前提として、現在の少年ジャンプは暗黒期の真っ只中。人気作が立て続けに完結して新連載が大量展開されてるけど、今のとこ次の看板漫画と呼べるようなものは現れてない。

 なかなか飛び抜けた新作が出て来ない背景に「現代ならではのやりづらさ」みたいなものは間違いなくあると俺は思っていて。やりづらさにも色々あるけど、ざっくり挙げるとふたつ。

 ひとつはネタ被りの問題。今日日「まだ誰も漫画にしてない題材」なんてほとんど残っていなくて、ある程度の被りは避けられない。どうやったって「どこかで見た」感が出ちゃうし、下手したらパクリ呼ばわりされる。これを避けてオリジナリティを発揮することは、たった数年前と比べても格段に難しくなってる気がする。
 過去の作品を参考にして良いところを盗むのは誰しもやってるし、程度の問題というかなんというか。うまく言えないけど、たぶん大事なのは「過去のノウハウの活用」と「過去のネタのパクリ(盗用)」の線引きを明確にすること。「これ以上やったらパクリだよね」というラインの認識をなるべく読者と合わせて、その上でネタをどう扱うかを考えなくちゃいけない。まあ、何でもかんでもパクリ呼ばわりする輩も世の中にはいるけど……。それでも、だからこそ、努力を尽くす必要がある。うーん、やりづらそう。

 そんでもうひとつは、炎上のリスク。目立った場所で配慮に欠ける表現やふるまいを見せれば、ポリコレだのコンプラだのを掲げる人たちから袋叩きにされるのが現代の世界。
 少年ジャンプとしても、直近で作品の内容が倫理的にダメで連載開始即炎上した例に加えて作者が悪質犯罪をかまして社会的に死んだ例まで出しちゃってるから、より一層慎重になってる節がある。

 過去に長期連載の実績もある先生方が描いている新連載『あやかしトライアングル』や『灼熱のニライカナイ』にも、「近年の世知辛さ」に言及するメタ的な台詞が見られる。
 「昨今は色々とキビシーっす」―『あやかしトライアングル』第10話
 「今の時代 コンプライアンスを無視すれば世間という警察が許さんのだ」―『灼熱のニライカナイ』第1話

 これはギャグ漫画でも例外じゃない。笑いのネタに向けられる世間の目も厳しくなってて、“傷つけない笑い”なんて概念がありがたがられてる(俺はこの概念、あんまり好きじゃない)。

 ひと昔前の漫画なら許されてたはずのことが、この2020年に連載を始める漫画となると許されない。ここをどうやって掻い潜るか、あるいは踏み倒すか、みたいなことが今の漫画には求められてると(不本意ながら)俺は思う。

 

 で、本題の『僕とロボコ』。作風はまあ、見ての通り。

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怒涛のジャンプパロディネタが売りの、パワー溢れる漫画になっています。令和の『太蔵もて王サーガ』と言ってもいい。

最近のジャンプ、読むもんある?現在の連載作品紹介【2020夏】 - フリーライターなるしかねえ

 ここではパロディを前面に押し出しているというのがまず大事で、これによって『ロボコ』は上記のパクリ問題をクリアしてる。というか、踏み倒してる。
 そもそも『ロボコ』は登場人物の構成図からして、明らかに『ドラえもん』や『キテレツ大百科』と同じ藤子不二雄スタイル。さらには「ブタゴリラ」を捩った「ガチゴリラ」なるキャラも居る。この時点で既に「この漫画はパロディをやるんだな」とわかる、親切なつくり。
 話全体がパロディ前提で成り立ってるから、パクリは笑いに昇華される。さっきの話で言えば、あえて露骨に「過去のネタのパクリ」の方を行うことで線引きを明確にした形(それでいてオリジナリティがないわけではない)。

 

 炎上リスクの方は言うと、作者・宮崎周平先生の作風は、元来かなり危うい部類だった。 

今作のロボコにも見られるような、独特の顔(僕はこれを勝手に「宮崎顔」と呼んでいます)のメインキャラがサイコなド畜生で、そのハチャメチャな振る舞いに周囲が巻き込まれる……というのが宮崎先生の主な作風でしたが、宮崎顔キャラのあまりの鬼畜ぶりにヘイトが集まってしまうのが難点でもありました。
『隣の席の珍子ちゃん』とか、ぶっちゃけギャグのキレより不快感の方が目立っていたように思いますし。

最近のジャンプ、読むもんある?現在の連載作品紹介【2020夏】 - フリーライターなるしかねえ

 過去の読切でも多く見られた、「宮崎顔キャラが周りのキャラを酷い目に遭わせて何の反省も補填もしない」という文脈が反感を買いやすい。中でも複数の読切に登場する宮崎顔キャラ「珍子ちゃん」に至っては、女性の外見や身体的な要素をネタにしていてものすごく際どい。実際に不快感を露わにしている読者も相当数いたし、もし過激派フェミニストが見つけたら血の涙を流して憤死するぐらいの存在だと思う。

ヘイトを集める要素は、スベったギャグに合わさると寒さを助長する。ギャグのウケなんて百発百中とはいかないのに、たまたま空振ったところに読者の不快感がちょっと重なるだけで、作品全体を一気につまらないものにしちゃうこともあるし、炎上する可能性すらある。
 そうは言っても、この際どくて危なっかしいネタこそが宮崎先生の持ち味でもあるし、捨てたくない……。

 

 ここで満を持して登場するのが、ガチゴリラ。
 こいつが世紀の大発明。宮崎周平作品の抱えていた問題点、その隙間にバチっとハマる理想のピース。『僕とロボコ』を『僕とロボコ』たらしめる不可欠の存在。大黒柱。

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『僕とロボコ』第2話より

 ガチゴリラ。一体、このキャラクターの何がそんなにすごいのか。

 まず第一に、スベらない。ガチゴリラは、主人公を虐めながらも根の優しさと思いやりが常に溢れ出てるガキ大将キャラ。要は普段のジャイアンと劇場版ジャイアンを交互に出してくるヤバいやつ。ガチゴリラはこの異様な緩急のついたギャグを、現代の背景に適した笑いの黄金パターン(≒“傷つけない笑い”)のひとつとして確立した。ぺこぱと同じような革命を、ギャグ漫画でも起こした。
 ガチゴリラが百発百中のボケを構えているおかげで、ロボコや他のキャラがもっと攻めたボケをかますことができる。いわば空振り保険。他のボケが多少スベっても、ガチゴリラが常に確かなウケを確保することで、作品全体が“寒い漫画”になってしまうリスクを回避してる。

 しかも、ガチゴリラはめちゃくちゃタフ。ロボコに酷い目に遭わされても、嫌な顔ひとつしない。日本海上空から落下しても、山の向こうへと投げ飛ばされても、傷ひとつ負わずに平然と帰って来る。
 このガチゴリラの性質が、ロボコが振り撒いてしまうはずのヘイトの大部分を吸収して抑え込んでる。最強のサンドバッグ。タフでよかったウホー!
 ただ、いいやつなだけに愛着も湧くし、その分彼の扱いを可哀想だと感じる読者もいるとは思うから、あとはそこをケアするような描写が今後少しでも見られれば完璧かもね。

 さらに、ガチゴリラはロボコを「可愛い」と評する。変な顔でふてぶてしくてヒザがナッパのロボットに、女性的な魅力を見出した。読者が宮崎顔を受け容れるための橋渡し役として、ガチゴリラは先陣を切った。
 過去作でただ「厄介だけど面白いブサイク」としてぞんざいに扱われてた宮崎顔(珍子ちゃん等)からの革命的な変化がここにある。今作の宮崎顔・ロボコはただ滅茶苦茶やるだけの存在じゃなくて、人に好かれるための存在としてデザインされてる。考えてみれば、メイドロボ(=人の役に立つ存在)って設定もその一環っぽい。
 その仕上げが5話、ロボコが美少女になるエピソード。これで最終的に「やっぱ元の見た目が落ち着くね」に帰結することで、読者が宮崎顔を受け容れる儀式は完了した。
 個人的には、序盤から不快だと思ってたパンツを見せるボケがこの回に向けた前フリだったのがすげえと思う。まだ偶然かもしれないけど、少なくとも6話・7話ではパンツを見せるボケがさっぱりなくなってる。

 ガチゴリラのこれらの働きによって、宮崎先生の持ち味を存分に残しながら、『ロボコ』の炎上リスクは大幅に軽減された。それでもなお難色を示す読者はいるけど、ここまでやって駄目なら仕方ないし、それはもう根本的に宮崎先生の作風が合ってない人なのかもしれない。そう思えるくらいには、『僕とロボコ』は深い配慮のもとに作られてるように感じる。

 

 ガチゴリラは、この漫画に凝らされた工夫の象徴だ。宮崎先生(と、並びにジャンプ編集部)が作品に改善を重ねて、積み上げてきた努力の象徴だ。パロディの塊みたいなキャラクターでありながら、現代らしい笑いのセンスと、周囲を幅広くケアする思いやりを見せてくれる、とんでもなくデカい存在。俺はこれからも、ガチゴリラの活躍に注目していきたい。

 ホント最高だよガチゴリラ!

 

余談

 ガチゴリラと関係ないんだけど、『僕とロボコ』はパロディの使い方も割と気が利いてて……ここでいちいち説明することか悩むけど、ついでに書いちゃおう。

 やっぱりパロディってのは諸刃の剣で、裏目にも出やすい。元ネタがわからない読者には面白味が伝わらないどころか、どこか他所の身内ネタを見せられたような疎外感・不快感まで与えてしまう恐れもあるわけで。そういう「知らねえよ感」が、パロディ特有のスベり方として存在する。
 だからこそ、これを回避するための配慮を『ロボコ』は頑張ってるように見える。

 そのひとつが「パロディネタじゃないボケとしても成り立つパロディネタのボケ」みたいなもので、元ネタを知らなくても純粋にその場面における「可笑しい言動」としてちゃんとギャグになってるパターン。
 例えば3話で言ったら「 くう だー!!」は『DRAGON BALL』のヤムチャだし、「1人のボードゲーマーとして将棋を手合わせ願いたい」は『HUNTER×HUNTER』のビノールト、「歩く姿はマジ円」に至ってはたぶん『賢い犬リリエンタール』の 紳士 ジェントル 。どれも細かくてわかりづらいネタなんだけど、別にそれがパロディだと気づかれなくても「なんか変な面白い台詞」として成り立ってる。

 あとは「パッと見はボケじゃないけど元ネタがわかる人からするとボケ」みたいなネタ。あんまり多くないけど、これも読者がパロディだとわからなくても困らないための工夫として用意されてる。6話の最後なんかがそう(『SLAM DUNK』翔陽戦後の寝方)。

 問題はそれ以外の形、つまり「誰が見てもパロディネタのボケ」。一般的に、パロディがスベるのは得てしてこのパターンだけど、『ロボコ』はこれをある程度丁寧に扱ってる。
 例えば2話、「呪術廻戦の汗のかき方!!」。明確に台詞にしてるから読者もパロディだとわかるけど、これは今まさにジャンプで連載してる漫画のネタだし、元ネタを知らない読者はあまりいないだろうという想定。
 あるいは1話、「ヒザ『ナッパ』だし!!」。『DRAGON BALL』はアニメ新シリーズとかで若年層にも知名度があるから、わからない人も少なめ。しかもご丁寧にナッパの顔が添えて描いてあるから、知らない人でも「たぶんこのおっさんのヒザのこと言ってんだろうな」とわかる。
 これが怪しいラインで言うと5話、「ダークネスって何なの!?」。一応、知らない読者(=小学生のボンド)からすると、お母さんがひたすら意味わかんないことを言ってボケ散らかしてるように見える。でもそのあと「あやかしトライアングルまでにしておきなさい」が来ちゃうから、『あやトラ』だけは知ってる層の読者も「ダークネス」が他の作品のネタだと気づける。ここに「知らねえよ感」が出るおそれがある。
 アカンのは7話、「幽白のヤツ!?」とか。どうしても元ネタ知らないと面白くないパターン。これはシンプルにブッコミなので、楽しめる人だけ楽しめることを喜びましょう。

 とまあ、隅々まで徹底されてるわけじゃないし雑なブッコミもあるけど、たくさんの配慮がなされてるようには見て取れる。
 少なくとも深く考えずに読めば楽しめるようにはなってるのに、中途半端に「もしかしてこれもパロディなのか?」とか考えちゃう人だけがドツボに嵌まって悶々としてる印象。これはもう仕方ないんじゃないかな……。

 とにかく、スベってるように見えがちなパロディネタでも、こういう面白さが用意されてるよ……って、マジでいちいち説明することじゃないな。野暮が過ぎました。

 でも、こういう気配りを全く意に介さずに「パロディだらけのゴミ」とか切り捨ててる感想をいくつも見かけてモヤモヤしたんだよね。これって作品側の落ち度なのか?って。
 俺はどちらかというと読者側の素養の問題だと思うし、「これが楽しめないなんて可哀想だな」ってあしらいたいんだけど、丁寧に考えられた面白いものが浅薄な考えでこき下ろされてんのを見てたらなんか悔しくなっちゃって。ついカッとなってやってしまった(駄文陳列罪)。

 

 とりあえず、今日俺が言いたいことは以上です。まだまだジャンプ誌面上は生存競争が激しいし、『ロボコ』も定着できるのかわからないけど、この調子で面白いネタを量産してくれたらいいなあ。