フリーライターなるしかねえ

社会不適合な若者の日記です

『タイムパラドクスゴーストライター』を信じ続けた男

 『タイムパラドクスゴーストライター』が打ち切られてしまった。悲しい。
 正直に言えばこうなることは分かりきっていたし、納得もしている。ただ、俺はこの漫画に漂う打ち切り臭の中に、ヒット作になる可能性の細い細い糸のようなものを見出していて、そこに少なからぬ期待をかけていた。

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 結局、この期待は見事に裏切られることとなった。週を追うごとに掲載順はみるみる落ちて行き、わずか14話であえなく打ち切り。

 それでもこの漫画が残したインパクトは大きかった。残念ながら悪い意味で。
 連載初期からジャンプファンの間では不満が噴出していて、ネット上では「早く終われ」「こんなクソ漫画載せんじゃねえ」なんて意見も珍しくなかった。近頃の強烈な打ち切り漫画としては『サムライ8』が記憶に新しいところだが、間違いなくこの『タイパラ』、いや『タイパク』もまた歴史に残る問題作だった。

 期待した形ではなかったものの、俺もこの漫画には大いに楽しませてもらったので、備忘録も兼ねて書き残しておきたい。『タイパク』は一体何をしでかしてくれたのか、そして俺は何故この漫画を信じたのか。

 

 

 ひとつ断っておくと、俺はこの漫画を貶したいわけではないし、ましてや作者および関係者に対して人格否定や誹謗中傷をしたいわけではない。「作者の頭がおかしい!」とか「編集が無能!」とか言うだけなら簡単だし、現にネットではそういう声がずっと溢れているのも事実だが、できれば俺はそうは言いたくない。
 もちろん『タイパク』自体に問題点も多くあった以上、そこを無視することはできないが、決して制作側の名誉を棄損するためにこれを書いているわけではないという点だけはあらかじめご理解いただきたい。私はあなたのためを思って言っているのよ(パワハラ姑構文)。

 

 

 

この主人公は「悪」じゃないのか!?

 この漫画に最も「裏切られた」部分は間違いなく「何故か主人公が悪者にならない」の一点。作中に細かなツッコミどころは無数に存在するものの、主人公・佐々木哲平が悪人として描かれてさえいれば、それらの大半は読者の気に留まることもなかったように思う。

 俺はこの漫画が「令和の『DEATH NOTE』」みたいなものになると期待していた。大義名分のもとに犯罪を遂行し、誰にもバレないように悪事を働き続ける。しかし、あくまでも罪は罪。それを追及する者の手によって、罪人たる主人公は窮地に追いやられていく……。そんなスリルの中で、タイムマシンの謎にも迫りながら漫画の道を究めていくとなれば、事態は複雑にもつれて読み応えのある物語が生まれるに違いない。その果てに待っている破滅のもたらすカタルシスは如何ばかりか。ともすれば、作中に込められたメッセージが、世間を度々騒がせている著作権問題に一石を投じるかもしれない。そんな展望を、勝手ながら脳内で描いていた。
 流石に俺もここまでの期待を寄せていた人はそう多くないと分かってはいるが、少なくともほとんどの読者の視線が主人公の「罪」に奪われていたことだけは確実だろう。盗作をしている以上はそれに対する「罰」があって然るべき、というのが常識的な考え方だ。当然、読者の期待は「主人公にどんな報いが待っているのか」に集まる。

 言うまでもなく、盗作は悪だ。犯罪そのものだ。佐々木哲平も盗作がバレることを恐れていたし、明確に罪だと自覚していた。この点において、作者側の倫理観は狂っていない。問題はここから。
 佐々木哲平はその罪の意識を、早々にどこかへ抛り出してしまった。物語最序盤で「十字架を背負う」と決めたはずのその瞬間から、自らの罪状を省みて深刻に悪怯れた表情を見せることはなく、見せるのはコミカルな泣き顔ばかり。「盗作なんてするんじゃなかった……」なんてことは、一度たりとも言わない。言動に罪悪感が付き纏っている様子はなく、名作を代筆するという謎の使命感に駆られてただ一生懸命に漫画を描いていた。
 罪を誰かに打ち明けることもないので、罪を追及することも不可能。パクられた本人のアイノイツキにしても、パクリ作品を載せてしまった作中のジャンプ編集部にしても、盗作の事実に気づくきっかけすら与えられない。バレるかバレないかのスリル以前に、罪を疑う登場人物すら終ぞ現れることはなかった。
 『DEATH NOTE』で言えば、Lが登場しないどころか警察がキラの存在に気づいていないようなもの。主人公がやりたい放題で悪事に勤しんでいるのに、誰にも咎められない漫画。あまり褒められたものではない。

 「盗作」を描いているはずのこの漫画の中心には、「罰」はおろか、「罪」や「悪」といったテーマさえ存在していなかった。想定していた道の斜め下のところで躓かれてしまったような、異様な肩透かし。この違和感から来る気味の悪さが、読者の反感を買っていた。

 少し脱線。これに対して「漫画の中の話なんだから盗作なんかでいちいち騒ぐなよ」という反論が見られたが、あまりにナンセンス。盗作が当たり前の世界観設定に向かって「盗作は犯罪だろ!」と騒いでいるならそれはおかしいけど、今回はそうじゃない。盗作がメインの題材になっている(そのつもりはなくてもそうとしか見えない)漫画で、かつ作中でも盗作は罪って認識があったのにそれを無視しているのが変だよ、という話。

 どうやら、作中で佐々木哲平が盗作の報いを受ける様子はなさそうだ。この漫画はあくまでも佐々木哲平という男を善人として扱いたいらしい。それは分かった。いや、分かってはいけない気がするが、一旦分かったということにしよう。
 ただ、佐々木哲平を善人に見立てようとしても、いかんせん辻褄が合わない部分が目立つ。やはりどう考えても、悪事に対して常に罪の意識が働いていないのがおかしい。おかしすぎる。

 善人であるならば、たとえ誤って悪の道に足を踏み入れてしまうことがあったとしても、自らその道を進み続けることはまずないだろう。よほど退っ引きならない事情がない限り、極力速やかに足を洗おうとするのが善人というものだ。
 佐々木哲平も始めは勘違いから盗作に至ってしまったわけだが、問題はそれ以降。彼には後戻りできるチャンスがいくらでもあった。アイノイツキにでも担当編集にでも、未来の少年ジャンプの現物を見せて謝るなり相談するなりすればよかったはずだ。
 彼は3話時点で一度だけアイノイツキ本人に対して罪の告白を試みるものの、勘違いで失敗に終わる。以降、二度と自白を試みることはない。彼曰く、その理由はアイノイツキが漫画を描くのをやめてしまうかもしれないと思い直したから。善人っぽい理由と言えなくはないが、罪の意識を棚に上げて突き進んでいく理由としては弱すぎる上に的外れだ。自分を正当化するための適当な理由にすら見えてしまう。
 もう一つの大きな理由とされている「みんなに名作を届ける」に関してはアイノイツキに全てを打ち明けた上で共作する方法だってあるし、これも罪を秘匿する要因にはならない。むしろ自白した方がより良いものが出来る可能性が高い。

 「善人なのに悪の道を進んでしまう」文脈を成立させるためには、もっと徹底的に後戻りできない状況を作らなければならなかった。悪事を続けないと身に危険が迫るだとか、世界に甚大な被害が出るといったような、強迫的に他の選択肢を全て断ち切るほどの要素がなかったがために、「普通はそこで盗作するのは止めるだろ」というツッコミを払拭できなかった。

 仮に盗作がバレたら作家生命が終わるという意味で身の危険はあるんだけど、そういう描かれ方もしていない。先にも述べた通り、何故か誰も罪を追及できない為……。

 客観的に見て盗作を続けなければならない状況ではないのだから、まともな善人ならば罪の意識が働いて足を洗うはず。ところが、佐々木哲平は盗作を止めない。これでは、読者から見た佐々木哲平は開き直って悪の道を邁進している極悪人にしか見えないわけだ。

  

もはや善人だからで済む話じゃない

 どう見ても悪人にしか見えず、愛着も尊敬も致命的に得られていない佐々木哲平だが、作中では誰にも咎められないどころか持ち上げられる形で物語が進んでいく。彼の欠点を正しく指摘した菊瀬編集はまるで悪役のごとく退場させられ、代わりに入った宗岡編集やアシスタント陣は「さすがは哲平様です」とばかりに神輿を担ぐ。彼らにかかれば疎かな食事も清貧となり、原稿を破く行為もプロ意識の顕れとなる。

 その一方で、作中の随所に現れるツッコミどころは増え続けて止まるところを知らない。無視される負債、5等1000円が5口しか当たらない宝くじ、1トン以上のジャンプを公園に投棄するお爺さん……。他にも腑に落ちない設定や細かな演出の不自然さをひとつひとつ挙げていこうと思ったら、時間がいくらあっても足りない。

まさか…絵だけじゃなく物語の続きも俺が描くしかないのか…!!?

 象徴的なものとしては、この台詞が大ゴマで迫真の被害者面と共に登場していることが鮮明に全てを表していると俺は思う。これを見て「えぇっ!?大変だあ~!!」とはしゃげる読者はそうそう居ないだろうし、「そんなことも想定してなかったの?」と呆れて笑うのが関の山だ。佐々木哲平は元々ダメな漫画家としてデザインされているとは言え、度を越えたお馬鹿な言動が多すぎてとても感情移入ができるような存在ではない。

 別に馬鹿が悪いわけではないし、愛すべき馬鹿と呼ばれるキャラクターも世の中にはたくさん存在する。ただし、そういう存在として描きたいなら分かりやすく馬鹿さを指摘するツッコミが居るべきだし、せめて隣で「バカだなあ、もう」と笑ってくれるくらいの存在は必要。もちろんこの作品にそんなキャラはいないし、佐々木哲平をお馬鹿キャラとして描くつもりもないだろう。逆に、全員が佐々木哲平をヨイショしている。

 特に目立つのが、ヒロインであるはずのアイノイツキへの配慮の無さ。佐々木哲平の盗作に起因して彼女は中卒になり、『ホワイトナイト』で得られるはずだった印税や名声を奪われ、寿命も10年近く縮んでしまった。幼少期の虐めよろしく原稿は破り捨てられ、果てには盗作の出来栄えに生殺与奪を握られる始末。義勇さんが聞いたらブチギレることだろう。
 「漫画を描くのをやめてしまうかもしれない」というたったそれだけの理由で、佐々木哲平はズルズルと自らの罪を隠し続ける。そしてその態度は、アイノイツキの死の運命を知った時ですら変わらない。そう、なんと「漫画を描くのをやめてしまうリスク」が「死のリスク」さえも上回っている。どう考えてもこの天秤はおかしい。狂っている。もはや善人かそうでないかなんてレベルの話ですらない。
 得票数で負けたらアイノイツキが死ぬと未来人から告げられた上で負け続けているのに、いざ実際に死んでしまったら取り乱す。危機感がなさすぎるし、命を軽視しているとすら感じられる。
 単行本での台詞修正で「タイムマシンの事を公表でもしたら世の中が大変な事になる」というふんわりした理由が追加されてはいたが、それでも当事者(被害者)には事実を伝えるべきだし、秘密を共有したっていいはず。これをしなかったということは、「アイノイツキが世の中にタイムマシンの存在を言いふらすリスク」より「死のリスク」を取ったということに……。

 無自覚ながらにして目に余るほど人に迷惑をかけている佐々木哲平だが、彼の名誉を守るポイントとして、面白い『ホワイトナイト』をしっかりと世に届けたという点は挙げられると思う。だが、『ホワイトナイト』はほぼ画面に描かれない上にそれを褒める台詞も具体性がなくフワフワしていて、なおかつ佐々木哲平自身が好評を素直に喜ばないがゆえに、その功績も作中では今ひとつ目立たなくなっている。そもそも彼が何もしなくたって10年後には世に出ていたはず……。彼が善良な心で行った盗作がどこかでプラスに働いた例というのが、なかなか見当たらない。

 とどのつまり、佐々木哲平が振り撒いた自覚のない悪意は、「善人だから」でフォローできる範囲を優に超えていた。火消しじみた「さす哲」展開は却って佐々木哲平の異常性を際立たせ、彼に対する読者の評価と作中での評価の乖離は進んでいった。

  原稿を破るくだりは狂気の演出だと思っていた時期が僕にもありました。

 

 

 

駆け足の結末とメインテーマ

 物語終盤の展開は打ち切り漫画特有の“巻き”っぷりで、典型的なデウスエクスマキナの登場から「精神と時の部屋」で佐々木哲平がパワーアップ、アイノイツキをあっさりと改心させてハッピーエンド。おそらく想定より早い打ち切り決定で、予定していた展開とは違うものになってしまったであろうことは想像に難くない。
 本来であれば、未来のジャンプを送っていた黒幕はあのような高次元的存在ではなかっただろうし、時間を止める力技だって使うつもりはなかっただろう。この結末に関して茶々を入れることにはあまり意味がない。
 一応、「フューチャーくんはもっとやれることあったやろ」とかは真っ当な指摘だと思う。

 終わってみれば、盗作もタイムマシンも物語に絡める必要は左程なかったということになる。犯罪要素もSF要素も、輝く瞬間を迎えることなく物語が終わってしまった。
 盗作については最後までお咎めなしだったので“そういうこと”なのだろうが、タイムマシン周りの設定はまだ用意してあったように思う。2話の説明からして複線的な世界線で並行世界が存在する設定、と見せかけて実は単線的でタイムパラドックスが発生する……みたいなことを狙っているのかと憶測していたが、今となってはもうどうでもいい。

 「結局何がしたかったの?」という点さえ不明瞭だが、強いて言えばこの漫画のメインテーマとなる部分は、アイノイツキの唱える「透明な傑作」理論を巡る思考にあったように見える。
 やりたいことをやって死ぬかやりたいことをやらずに生きるか、みたいな部分もそうかと思って読んでたけど別にそうじゃなかった。
 個性を殺した「透明な傑作」こそが全人類が楽しめる究極の漫画であるという漫画論。これは後に否定されるためのトンデモ理論であり、個性を殺していくうちに目的も見失って命すら落とす、という文脈を用意するためのものでもあった。
 そして誰しもが予測した通り、万人を楽しませるのではなく届けたい「同類」に向けて伝えたいものを描く、という答えが示された。概ね納得は行くが、これもどこか急拵えのテーマであるように思えてしまう。
 もし『タイパク』が全編を通じてこの結論を出したかったのだとしたら、もっと序盤からこの方向性だけでも示さなければならなかっただろうし、せめて佐々木哲平が『ホワイトナイト』を描きながらでも「自分の伝えたいもの」を探す描写があって然るべきだった。しかしながら、連載が始まって以降のシーンは驚くほど大幅にカットされて進んでいて、そのような描写は見当たらない。
 物語冒頭と見比べれば、佐々木哲平が嫌がっていた「マイナー路線」の方がこの結論には近いわけで、そうであれば菊瀬編集をあんな目に遭わせたこともイマイチ筋が通らない。正直、「実際に作者が編集に言われたことを否定したかったに違いない」だとか「作者は書きたいものがないことを正当化しようとしている」といった憶測が飛び交っているのも頷けるくらいだ。

 こうした一貫性の無さによって、メインテーマさえもぼんやりと霞んでいる印象を受けてしまう。最終回の台詞を文字通り読み取るのが正解なのだろうが、どうも素直に受け取りづらい流れになってしまっている。どうしても、本当は他に言いたいことがあったのでは、と邪推したくなってしまう。これは俺個人の問題かもしれないが、結論さえも真っ直ぐに受け入れられないことがなんとも惜しい。

 

俺は何故この漫画を信じたのか?

 俺がこの漫画に期待を寄せたのには大きく三つほど理由がある。

 一点目は、編集部の期待が大きいという雰囲気だ。世間の注目を集める『鬼滅』最終回の号で連載を始めたことや、ジャンプ+で連載するはずが本誌に連載されたという話、6話時点で与えられた増ページなど、何か他の作品に寄せられるものとは異なった期待によって本誌連載が後押しされていると感じる要素がいくつか揃っていた。編集部にとっても、これは一つのチャレンジだったのではないかと思う。
 実際、もしジャンプ+で連載していたら当初思い描いていた形に近い結末が描けていたはずだし、もしかしたら『ナノハザード』や『恋獄の都市』みたいな人気の集め方をしていたかもしれない。

 二点目は、純粋に上手く出来ている部分もしっかりあったということ。
 例えば、取ってつけたような個性を求めるばかりでただただ空っぽ、それ故に面白い漫画が描けない佐々木哲平。空っぽな無個性を目指しつつも作家性が滲み出てしまい、それ故に面白い漫画が描けるアイノイツキ。この対称性は見事で、それでいて「空っぽ」という一点において「同類」と括れてしまう、皮肉なほどに綺麗な対比が作れている。
 特に「面白い漫画を描く人間」が「面白い漫画を描くこと」に正しくアプローチ出来ていて筋も通せているということが大きい。このキャラ造形と文脈を用意できる人なのであれば、薄気味の悪い佐々木哲平のキャラ造形も意図的に用意したものかもしれない……と、俺は期待してしまった。
 菊瀬編集の「つまらない漫画ばかり持ち込まれ続けてくたびれた編集者」としての解像度が異様なほど高いことも挙げたいが、これは本当に見たまま描いてる説があるので保留。作者はTwitterで菊瀬編集のモデルはいないと話してはいるが、そりゃ「モデルはいますか?」と聞かれて「はい、います」とは答えないだろうな、というところでもある。
 さらに上手く出来ていた部分で挙げておきたいのは、何と言っても読者の視線を集める腕力。クリフハンガーと言うのだろうか、結末が気になる状態を保つストーリー進行には間違いなくパワーがあったし、俺もそのパワーに引き付けられていた一人だ。

 そして三点目、俺がこの漫画を信じた最も大きな理由は、シンプルに「作者を狂人だと思いたくない」という願いだ。
 この『タイパク』は、意図的にやっているのでなければ作者陣は本物の異常者なのではないかと本気で疑いたくなってしまうくらい、常識からかけ離れた強烈な漫画だった。どこまで行っても主人公の悪行が全く取り沙汰されないことがとにかく奇妙で、気味が悪かった。『DEATH NOTE』だって『闇金ウシジマくん』だって『連ちゃんパパ』だって、主人公といえど悪は悪として扱われているし、必然的にそうあるべきだ。
 だからこそ、いつか必ず「盗作」という主題の「罪」の部分に正しく焦点が当てられ、報いを受ける瞬間が来るものだと信じて疑わなかった。よもや、物語の中心も中心で堂々と背負った十字架を、何食わぬ顔でどこかへ捨ててしまう漫画が生まれるだなんて、俺は思いたくなかった。

 物語が完結した今、結果としてこの願いは叶わなかったが、それでもまだ作者の先生方を狂人と断ずるようなことはしたくないし、抗っていたい。憶測の域を出ないが、何故こうなってしまったのかを少し考えてこの記事を終わりにしたい。

 

 

 

如何にして『タイパク』は生まれてしまったのだろう

 前提として、まともな価値観を持った大人が複数人いれば、誰か一人はこの漫画の異常性に気づけるはずだと俺は思う。何か外部的な力だとかイレギュラーな部分がなければ、こうはならないと信じたい。

 現実的なのは、原作・作画・編集の3人の擦り合わせがどんどん拗れて方向性が狂ってしまったような形だろうか。モノを創る人間は往々にしてこだわりが強いし、3人の意見を折衷する上で衝突することも珍しくないだろう。
 原作の市真先生はTwitterに「先の展開言い当てられてたら意地張って変えたくなる」との発言もある通り、少し天邪鬼な部分がある印象。「原作がついているのに『クロスアカウント』に近い動きが見える」なんて意見が出るのは、作画の伊達先生の作風が織り込まれているからかもしれない。“逆張り”に定評のある担当の杉田編集は、変わった倫理観の作風にも挑戦してきた実績がある。
 この3人の個性が悪魔合体した結果、生まれたのが『タイパク』なのは確かだ。巷では「原作者いない説」や「編集者いない説」まで囁かれてはいるが、個人的には逆で、3人の足並みを揃える段階でもつれてしまったのではないか、という意見。

 もう一つ挙げるとすれば、連載開始直後の読者の反応だろうか。ジャンプ+に無料で掲載された第1~3話は、コメント欄が大いに荒れていた。後にその多くが削除されたが、当初は非難轟轟といった有様で、炎上と言って差し支えない状態だったことを覚えている。

 これほどの連載開始即炎上というケースはあまり例を見ないし、この反応を受けて多少なりとも路線変更があったと見て間違いはないだろう。単行本でいくつもの表現が訂正されている点からも、初期の内容に関して反省があったことが窺える。
 ともすれば、イメージ修正の義務感や焦りに駆られて、半ばパニック気味にハンドルを切ってしまった可能性も考えられる。週刊連載の勢いの中で、急いで軌道修正を重ねていった末にあのような形になったというのであれば、ある程度は合点がいく。

 真相は作者側の方々にしか分からないが、とにかく俺としてはどこかにやむにやまれぬ理由があってほしいし、『タイパク』が万全の状態で生み出された作品であるとは信じたくない。何かがあったに違いない……。

 

おわりに

 最後になってしまったが、俺はこの『タイパク』が大好きだということは改めて申し添えておきたい。掲載順が落ちても毎週楽しみにしていたし、単行本も買った。ハチャメチャな漫画だっただけにとても刺激的だったし、存分に楽しませていただいた。

 このブログでは度々言っているが、俺はジャンプの打ち切り漫画が大好きだ。新連載は常にチャレンジだと思うし、一風変わった漫画が始まった時は、編集部が何かを試しているのだろうとワクワクする。最近は立て続けに人気作が連載終了しているが、その分たくさんの新連載がやって来るので、なんだかんだであまり凹んでいない気がする。

 今後も少年ジャンプから新たなヒット作・話題作が登場することを願っているし、もしその行く末が期待通りでなかったとしても、こうして記憶に留めておきたい。各先生の次回作に期待しています。

 

 

 おまけ

 佐々木哲平の罪にフィーチャーされたSSスレがありました。
 彼がボコボコにされる話が読みたい人は是非。

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