フリーライターなるしかねえ

社会不適合な若者の日記です

監督・黒山墨字、主演・夜凪景の映画を見せてくれよ

 俺の大好きな『アクタージュ act-age』が最悪の形で連載を終えてしまった。 

 なんともやりきれないので、気持ちの整理も兼ねて思ったことを書き残しておきたい。一言で言うなら、

 

もおおおおおお!!!お馬鹿!!!!!

 

 という気持ち。

 

 

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 ジャンプ作者の不祥事としては、過去にも島袋光利先生が売春で逮捕された件とか、和月伸宏先生が児童ポルノ所持で逮捕された件がある。島袋先生の『世紀末リーダー伝たけし!』は連載打ち切り、単行本絶版。和月先生の『るろうに剣心-明治剣客浪漫譚・北海道編-』は一時的な連載休止になった。
 今回のマツキ先生は強制わいせつの容疑。上記の例よりはるかに悪質で、より厳正な処分が下されて然るべき。出版側の責任としても、連載終了は当然の措置だし異論もない。

 被害者が負った傷はいかばかりか。うちの姉が高校生の頃に似たような被害に遭ったことがあるから、俺も少なからず知っている。そういう経験が心に落とした影みたいなものが、そこから先の人生ずっと、死ぬまでついて回ることを。
 本当に、人としてやってはいけないことをしてくれたな、と恨めしく思う。心の底から反省して罪を償ってくれよな。

 

 ただ一方で、月並みな言葉だけど、「作品に罪はない」ということは言いたい。たとえ“先生”が“容疑者”になっても、作品の評価が覆されるようなことはあってほしくない。

 このブログでも少し書いたことがある通り、『アクタージュ』は最高に面白くて、誰にでもお勧めしたい漫画だった。演劇という題材ながら少年ジャンプらしさもあって、キャラクターの造形は繊細、関係性の描写も絶妙。随所に色んな映画や小説のエッセンスが凝縮されていて、オタクが深読みできる余地もたっぷりある。何度でも読み返したくなる、美しくて素敵な作品。
 もう物語の結末が描かれることはないだろうから、人に勧められるものではなくなってしまったけど。それでも、確かな魅力がそこにはある。

 だから、絶版だけはやめてくれねえかな。電気グルーヴのCDが回収されたのも、甲子園歴史館から清原のバットが撤去されたのも、絶対に間違っていると俺は思う。『アクタージュ』という作品だって、存在を抹消されていいはずがない。汚点を丸ごとなかったことにするんじゃなくて、めちゃくちゃ面白い漫画を描いた性犯罪者がいたことを歴史に残してほしい。

 「存在してはいけないもの」っていう思想が一番危険だと思うんだよな。何のために教科書にヒトラーが載ってんだよって。
 それがどんなに人道に悖るものでも、人を脅かすものでも、存在はしてていい。拳銃だって原発だって慰安婦の像だって、存在は認めた上で「これは良くない!」って言い続けるだけでいい。極論、「人殺しは良くない!」と言ったって人殺しをする人は存在するし、それを滅ぼす行為こそ何より恐ろしい人殺しなわけで。

 ちょっと逸れたけど、『アクタージュ』にしたってそう。松木達哉という男がエロキモ性犯罪おじさんなのは揺るがない事実だし、今後も『アクタージュ』を読むたびに自転車に乗った痴漢が脳裏にチラつくことになる。それでも、この作品を 大嘘憑き オールフィクション してほしくない。「性犯罪者が描いた最悪な漫画」と評されながらでも、あくまで存在し続けるべきだと俺は思う。

 

 素直にわがままな気持ちを言えば、俺は続きが読みたい。いつになってもいいから、“黒山墨字の撮る、夜凪景の主演映画”が完成するところを見てえんだよ俺は。

 CMも舞台も大河ドラマも全部踏み台にして、大女優も国民的アイドルもハリウッドスターも全部当て馬にして、夜凪景が全てを吸収して成長したその先で、黒山墨字の表現したい何かが形になるはずだった。『アクタージュ』は、全てそのための物語だった。
 それがこんな尻切れ蜻蛉で、これ以上は何もありませんなんていただけねえよ。現実世界にまで降り立った夜凪景という女優は、このまま死んでしまうのか? クソ馬鹿エロキモ性犯罪ロリコン野郎としてでも、堂々と完結まで書いてほしいよ。監督・黒山墨字、主演・夜凪景の映画を見せてくれよ。なあ。頼むよ。

 でも結局、俺はファンだからこういうこと言ってるだけで、傍から見たらダメに決まってるのもわかる。
 少し前に、「俺はAAAだぞぉ!」と一般女性に蹴りを入れてたお兄さんが居て呆れたけど、一年足らずでポエムと共に帰ってきた彼を優しく迎え入れてしまったあの妄信的なファンたちを、俺は馬鹿にできないかもしれない。
 やっぱり人間、自分の好きな人とか自分に近しい人の罪には甘くなるもんなんだろうな。学び。

 

 もうちょっと危ないことを言えば、俺は正直、こういう「紙一重のところですごいものが生み出されている」感じが結構好きだったりする。
 歴史上の偉人たちにはイカれた変人エピソードが付き物で、ともすれば人に迷惑をかけまくっている。現代のアーティストにも、「何を食べたらこんなものが作れるの?」みたいな人がいっぱいいて、実際にヤバい薬をキメていたりキメていなかったりする。
 そういう文脈の成り立ちというか、ちょっと気持ち悪い筋の通り方みたいなものを目の当たりにして、妙に納得がいってしまう感覚を心地良く思うことがある。わかる人いるよね?
 今回のマツキ先生にしたって、宇佐崎先生との不仲説とか、舞台化でどうのこうのとか、仄かにヤバそうな空気が漂っていた中でこういうことがあって。「あぁ、そういうことか…」とがっかりしながら腑に落ちてしまったんだよな。
 まあ罪が許されるかどうかはこれと全く別の話だから、この部分にはあまり意味がないんだけど。とにかく、連載再開はまずありませんということで。

 

 今後のことを考えるなら、一番心配なのは作画の宇佐崎しろ先生のこと。ツイッターで絵を描いていたところを誘われてデビューしたのに、初めての連載はこんな結末を迎えて。原作者が起こした事件なのに、ニュースには毎回宇佐崎先生の絵がセットになっていて。しんどいなんてもんじゃないと思う。
 『アクタージュ』の人気は宇佐崎先生の画力なしには有り得なかったし、キャラクターひとつ取っても「顔がいい」なんて感想を何度目にしたかわからない。他人を演じるというアクションが一目で理解できる、鮮明で説得力のある絵があってこそ、『アクタージュ』は素晴らしい作品たり得た。そんな実力とセンスを持つ宇佐崎先生が、胸を張って代表作だと言える作品が『アクタージュ』であってほしかった。

 宇佐崎先生がどういう風に気持ちの整理をつけて、どんな決断を下すのかはわからないけど、今後も何らかの形で作品が見られれば嬉しい。これもわがままだな。じゃあいっそのこともっと好き放題言うけど、やっぱり『アクタージュ』の結末を描いてほしい。うん、無理だなあ。

 

 残念で遣る瀬ない気持ちでいっぱいだけど、どうにか割り切っていくしかない。終わったもんは終わった、悲しいもんは悲しい。仕方ない。
 個人的にはもう一つ、これでまた週刊少年ジャンプという雑誌の勢いが翳って、「もう読むもんなくなったわ」みたいな話を耳にすることが増えるのが悲しいかな。

ikiumejapan.hatenablog.com

 この記事に追記とかするか悩んだけど、そのままにしておく。

 二度とこんな馬鹿げた理由で素敵な漫画がなくなってしまわないことと、宇佐崎しろ先生が今後も活躍してくださることを願う。